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関連の技術移転の推進を計画している。また,DTI(Department of Trade And Investment)がアセアン各国と協調して「Creative Industry(ソフトウエア,プログラミング,ビデオ,ゲーム等の産業)」を生み出す活動をしている。まとめ (可能性)・英語のリテラシーは高く,IT,ICT,IoT分野は発達している。・高等教育機関が多く,若い優秀な人材が得られる。・職業教育機関として各地にTESDA(国立技術教育機関)が設置され,単一技術の習得ができる。民間でも企業が行う技術教育(マリンエンジニア)や宗教団体が行う基礎職業教育(ドンボスコ)機関がある。足している。(JICAが現在協力中)・高度技術者,熟練技術者の不足,技術教育,職業教育システムの不備。・都市交通,災害対応,環境保全技術の不足。・K12に対応した職業教育の充実が必要。2.4 建国・歴史PHはアジア大陸の南方向,台湾とボルネオの西太平洋上にある7000以上の島からなる国家である。主要な島はルソン島とミンダナオ島の2大島,ビサイヤ諸島の7島【サマール,レイテ,ボホール,セブ,ネグロス,パナイ,パラワン】,ミンドロ島の計10島からなる多民族国家である。PHは1521年のマゼランの上陸以前から東アジアで,中国との交易を中心として栄え,遠く大陸とのつながりがあった。また,スールー地域を中心にイスラムの文化圏が発達していた1521年,スペインのマゼランがセブ島に上陸し,この地からPH全土にキリスト教が普及していった。スペイン政府はキリスト教の普及による全土の統一植民地化を図った。各地に教会と学校を建設し,統一の思想の基,全PHを統治した。しかしイスラム教徒はスペインに激しく抵抗し続けた。スペイン政府はイス-22-ラムの文化,交易の流れを断つためにキリスト教に改宗した多くのイスラム人を兵力としてイスラム人との長い戦争を起こした。いわゆる「モロ戦争」で1898年のスペイン統治の終了まで続いた。また,山岳少数民族地域にもスペインの支配は及ばなかった。1898年パリ条約によりPHの統治はスペインからアメリカに移った。アメリカ政府はスペインと異なり国民に自由を与え,各地に学校を建設し英語文化を広め,アメリカ文化的思考や価値観を普及した。1941年日本軍がPHに侵攻し,1942年にマニラを占領した。1946年PHは共和国として独立した。このようにPHはアジア諸国の中でもヨーロッパとアメリカの二大近代国家に統治されたという歴史を持つ点が他のアジア国家との大きな違いである。まとめ (可能性) ・マゼラン以前からPHは東アジアの交易,人流れの中心であった。・現在でもPHはアセアンの貿易,経済,文化の中心である。・PHはアジアで初めての植民地支配を受けた国で,いわゆる「ハロハロ(いろいろな要素がごちゃまぜになっている状態)」「サリサリ(多様性)」文化の国である。・英語のリテラシーはグローバルスタンダード。・PHは欧米の影響を大きく受けたアジア唯一の国である。 (問題点)・7000以上の多種多様な島からなるので統一的行動がとりにくい。・言語(方言),文化,生活様式が多様である。・島々の交通(海上)に制限がある。・長い間の植民地統治により,国家としての歴史がまだ浅い。・政治的,経済的にアセアンの中での立場の確立に時間を要する。2.5 アセアン(ASEAN INTEGRATION)アセアン(東南アジア諸国連合)は現在世界第三の経済域圏で政治的,経済的,文化的にも世界の (問題点)・全科学技術分野においてまだ国際的レベルではない。・小学校低学年における科学,数学の基礎教育が不

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