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表3 職業大の全国大会支援状況に関する年表た,フラワー装飾はほぼ80%以上を女性選手が占めており,洋菓子製造と美容は60%前後を女性選手が占め,その状態をキープし続けている。なお,開催年の大会が国際大会の選手選考対象であるか否かに影響されて,大会ごとに各職種の割合に山と谷が現れている。3.1 職業大と職業大教員の使命全国大会では,競技課題作成,競技実施,成績評価に至るまで公平で厳正な運営が常に行われなければならない。つまり,職種への参加選手とその関係者にとっては,縁もゆかりもない第三者的立場の者が競技運営を担当すべきである。そのような意味において,職業大はこれまで第三者機関として機能している。職業大という組織として技能五輪全国大会の公正な競技運営と厳正な成績評価に対する責務を果たしながら,かつ職業大教員の一人一人が,我が国の技能振興を推進するための極めて重要な使命を担いながら全国大会に参画している。3.2 職業大と全国大会の関わりまず,職業大のやや複雑な沿革[3]~[5]について紹介しよう。職業大のルーツは,1961(昭和36)年4月に東京都北多摩群小平町(当時)に開所した中央職業訓練所(以降,「中訓」という。)である。中訓は1965(昭和40)年2月に職業訓練大学校(以降,「訓大」という。)に改称された。1973(昭和48)年10月に訓大は神奈川県相模原市へ移転し,1993(平成5)年4月に職業能力開発大学校(以降,「能開大」という。)に改称され,さらに1999(平成11)年4月に職業能力開発総合大学校へと改称された。この後,職業大は2013(平成25)年4月に相模原市から東京校のある小平市小川西町へ再移転し,東京校と統合して職業大(新制)となり現在に至っている。中訓,訓大,能開大,職業大と呼称が変遷しているが,以下では職業大に統一して記述する。さて,現在,過去の全国大会(第1回から第30回まで)の開催記録や実施記録は散在しており,それ-36-らの情報を収集・集約して完全なデータベース化を図る必要がある。これについては,職業大の今後の課題であると言える。ここでは文献[3]~[6]を基に,全国大会への職業大の支援状況を簡易年表にまとめてみたところ表3のようになった。第1回の全国大会が開催されたときから,職業大は旋盤工の競技会場を提供するとともに,競技運営に関わっていたことがわかる。その後,職業大を競技会場として実施する職種数も様々に変化し,昭和50年代には5職種(抜き型,打出し板金,ガス溶接,電気溶接,自動車工)を定常的に実施する環境が職業大に備わっていた。1991(平成3)年の第29回大会以降は,全国大会が都道府県共催による実施形態となり,職業大の教職員が技術委員長,運営委員,競技主査,競技委員,補佐員として開催地に赴き,大会運営と競技運営に協力している。この間,職種名の変更や競技職種の改変がなされ,現在は先の表1に掲げた41職種が実施されている。このように,職業大は全国大会の黎明期から現在に至るまで継続的に大会への支援・協力を行っていることから,職業大は由緒ある全国大会支援組織であると言えよう。図9は第42回から第54回までの13大会において,職業大教員が務めた主査数と競技委員数の変遷である。相模原時代の第42回・第43回大会では,主査数は20名(20職種)であったが,第50回大会(小平移転の前年)までの間に主査数が半減してしまった。3.職業大の全国大会支援状況

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