2/2017
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-2-ものづくりは,自分との勝負,一生涯を通してもなしえない「楽しみ」がある。〖自己紹介〗私の本来の職種は「手仕上げ工」で金型(主にプレス)製作の技能者である。変圧器が油入り(湿式油性)からモールド(乾式)への開発展開したときに,モールド樹脂成型用金型の試作から量産まで携わった。それがきっかけで変圧器の製造部門に移った。そこでは,将来の省エネ需要を考慮し,鉄心部材にエネルギー損失の極めて少ないアモルファス材を採用した変圧器を開発した。このアモルファス材は,硬くて脆い材料で量産加工がしづらく従来設備や治工具による加工方法を大きく改善しなければならない材料であった。当初は小形変圧器からの開発であったが,現在では大形変圧器でも「アモルファス変圧器」を生産することができ,省エネ対象製品として活躍している。60歳までは,変圧器製造現場の管理監督者としてモノづくりの部門に在籍し,そこから65歳退職までの5年間は,社内技能教育の計画立案から具体的教育の実施を行ってきた。いわば,ものづくりの生産性を向上させるためのキーマンとして位置付けている現場管理監督者の育成と技能者の階層別教育を行う立場の仕事に携わることができた。製造業の一企業で「人づくり・ものづくり」の大切さを学ばせて頂いた一人である。このの人ことば社製品こそが,社会に貢献する優れた製品であると定義付けていた時代である。大企業と云われる製造業の各社がこぞって技能の高さを競っていた時代であった。私は,今でも当時(昭和40年代)のものづくりの活況を覚えている。恵まれたことに,技能五輪にも参加させていただく機会も得た。昭和45年,技能五輪がいよいよ日本(千葉県・中央技能センター)で国際大会を開くこととなった。技能五輪へ向けて育成された選手はみな会社の将来を担う優秀な若手技能者である。しかし,ものづくりの実践では即,現場で通用する訳ではない。ものづくりを実践するにはさらなる経験が必要であり,まだまだ一人前というには早い人材であるが,その第一ステップが,当時は「技能五輪」であった。一人前となるためには,超一流の技能と絶えず技能向上を目指す探求心と自己研鑽力が求められる。厳しい訓練で鍛え上げられた技能向上心がものづくりの形となって,実製品の中で作り上げることができるかどうかが重要である。最近では「Made in Japan」のタグ・プレートが,巷であまり見かけなくなった感がある。世界に認められた「ものづくり力」が,今はどこに向かってしまったのか・・・。ものづくりを目指す若者に出会う機会が少なくなってしまい寂しい感がうかがえる。「Made in Japan」は,単に製造国籍日本という意味ではない。「Made in Japan」は,世界一の良い製品としての位置づけをもっている。ものづくり日本が世界を凌駕し再び蘇ることを切に願っている一人として,製造業こそ日本人が備えていた勤勉実直の天性であると感じている。現代の若者が少しでもものづくりに関心を持ち,「やってみたい!」と思ってくれる人材が増えることを切に願うものである。Made in Japanへの想い

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