2/2017
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乱の理由があると言っていい。事故には責任が伴うが,原因調査を厄介なものにさせるのは,法律違反に対する責任(罰)の理由として原因を明らかにする必要があるからである。結果(事故)に対して何を原因とするかは,法律との関係で変わる。場合によっては,再発防止のキーとなるような客観的な原因とは全く別の理由が原因とされることにもなる。例をあげよう。事故を防ぐために設置する安全装置は,もともと故障が許されない。故障は絶対には避けられないという現実に対してわが国の法律(安衛則)で始業点検が義務付けられる。一方,欧州では,事故前の停止の手段としての要求から,安全装置は故障に対して機械を停止させ,正常に修理がなされるまで機械を動かせない。これを安全装置の設計条件とし,認証取得(CEマーキング)を市販の条件としている。安全装置の目的が“事故前の停止”であり,安全側故障の保証が認証性を示し,リスクアセスメントの結果に応じて停止カテゴリの選定を規格として定めている。一方,わが国では,許容リスクにおける「許容」が曖昧であり,事故に対する責任は結果に委ねられ,結局,事故の結果は人間の責任に委ねられることになる。欧州の事故前の停止原則は,事故防止がそのままリスク低減の効果を示すが,事故防止の基準的方法を規定しないリスク概念に重大事故の防止を期待するのは無理である。裁判鑑定を依頼される度に,著者は“欧州の安全装置なら事故を防げたはず”の証言を繰り返してきたのだが,責任は管理する縦割り行政の多様な判断に委ねるべきこととして,事故の原因は安全装置の欠陥とならず,安全装置の保全担当者の過失責任の問題とされるが,事故が起こってからの結果責任を裁くわが国では,如何ともしがたい。偶然の結果(accident)とはいえ,どの国も,事故後の責任追及は避けられない。事故は,もともと発生を許さないことが現に発生したという事実を示すからである。しかし,被害者への賠償や加害者への罰など過失責任の追及では,安全問題の解決に何も寄与しない。“安全の責任”は事故の責任(結果責任としての被害者への補償・救済とする経営者の-23-責任)とは異なり,事故の回避はもともと失敗が許されないことから生ずる。指摘するまでもないが,許容リスクという概念を示すだけでは,安全の責任は果たせない。もともと安全は,原因に働きかけて,結果(事故)を安全な状態へとコントロールすること(事故を防ぐこと)である。しかし,このコントロールは明らかに時間的制約を受ける。原因が分らなければ事故を防げないし,たとえ分っても制限時間内に回避しなければ事故は防げない。事故の原因調査を引き受けるときにいつも思うのだが,もう少し早く止めれば事故は防げたはずなのに,なぜ止めなかったのか。事故は,事故の回避に固執しすぎて停止操作が遅れた結果として発生する。当たり前なのだが,この当たり前のことを軽んじて事故を発生させている。事故の後に停止させるのでは間に合わない。安全の責任は,事故前の停止の要求に応えること,そして事故前の停止の失敗で事故の責任(経営者の結果責任)が生ずるという関係である。ただし,停止が遅れて事故の前とする条件を逸脱してしまうことがある。“止まる”には,「止まる」の他に「止める」があって,“固有安定停止”と“制御による不安定停止”の本質的な違いがある点に注意が必要だが,この違いはエントロピが関って生ずる安定性の違いとしてすでに述べてあるので,ここで触れるのは控えたい。いずれにせよ,事故は防ぐのでなく,一時停止させて事故の経験を拒否するという考え方で理解すべきである。もう一つ,よく言われる安全は“危険から離れているから安全だ”である。隔離の安全でもあるが,これもうっかりすると結果責任が人間に委ねられることになりかねない。安全と思われた状態(位置)も,また置かれた環境も,大抵は変化して,事故が起こってから何が原因か,誰の責任の問題が結果論に委ねることになる。安全は最初に決めてそれで終わりというわけにいかず,常にモニターがなされ,変化に対応して修正がなされる制御の対象だということを忘れてはならない。

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