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かし,何かの面で一人前になることにエネルギーを使おう」と。 一方で“いわゆる健常者”と認識している人たちには,「だれかがその能力不足のために困っていたら,自分のできること,持っている能力で精いっぱいの支援をしよう。さわやかに,当たり前に,しかし同情ではなく。 人間みんな障害者。その障害の種類,内容が違うだけ。お互いに自分の持っているものを出し合って,補い合い,助け合うのが人間社会。 このような考えを持つ私は,新入社員の入社式での社長訓示でも次のように訓示してきた。 「新入社員の皆さん,“当社の常識は一般企業の非常識”と公言する当社への入社おめでとう。当社では社員に“欠点を直せ”などと言う気はない。いくら欠点を直しても良いことをしたことにはならない。人生は有限。その限られた人生の時間を,欠点を直すことになどに使うのは実にもったいない。いくら欠点を直しても良いことをしたことにはならない。そんな時間があったら,自分の良いところを生かして良いことすることに充てよう。良いことは行っただけ良いことをしたことになる。 人間は神様ではないから欠点があって当たり前。しかし人間にはだれにも必ず良い点が有る。しかも人間は一度に2つのことを行うことはできない。だ技能と技術 3/2013たかせ たくお略歴1939年6月 大分県大野郡犬飼町(現豊後大野市犬飼町)に生れる1958年3月 大分県立大分工業高校電気通信科卒業1958年4月 日立製作所入社。戸塚工場にて大型コンピュータ開発設計に従事1960年1月 日立工業専門学院開校と同時に第一期生として電子工学科入学,卒業後研究1973年3月 進工業(株)(本社京都,薄膜技術による精密電子部品製造,販売)から日1974年   取締役就任と同時に日立製作所を退社1979年8月 アメリカ,ミネソタ州に単身で渡り,進工業(株)現地子会社を設立。      営業,輸入販売,工場建設と製造,商品開発,経営などに従事。      通算6年間滞在。1987年10月 (株)日本コンピュータ開発(日立系ソフトウェア会社)の緊急事態対応の1990年5月 (株)日本コンピュータ開発代表取締役社長に就任2006年6月 代表取締役社長を退任,相談役最高顧問に就任。現在に至る。-2-・進工業(株)在職中の1976年,重度身体障害者雇用への取り組みが評価され,工場長を務める長篠工場が労働大臣表彰を受ける(この間,愛知県労働部の要請により,県下企業対象に心身障害者雇用促進のための講演多数)。・1997年6月には,アメリカ滞在中の現地子会社を通じた地域への貢献,功績によりミネソタ州ローズビル市駐日名誉代表に任命され,さらに2003年1月には,ミネソタ州政府貿易局駐日代表に任命される。・2007年4月に,主に知的障害者を対象にした社会福祉法人かしの木会「くず葉学園」(神奈川県秦野市)の評議員を,2009年12月に理事会監事を任命され,2010年4月からは苦情処理外部委員も任命され現在に至る。・2010年4月2日には,東京都教育委員会より都立特別支援校就労支援アドバイザーに任命され現在に至る。・日本各地大学,九州地区教育関係団体,企業ならびに企業団体,各種団体,地方自治体,その他ミネソタ州日米協会,南米コロンビアの大学・企業団体などでの講演多数。科へ進学と同時に東京大学工学部へ国内留学。猪瀬博教授に師事立への要請により工場長として経営支援のため出向ため転職入社,取締役システム部長に就任から常に良い点を生かして良いことをしていれば,悪いことなど出てくる余地,やる時間などない。良い点を伸ばし,生かして,一方的に社会を利用して自分の好きなことするのではなく,社会とGive & Take のできる良き社会人になろう」と。 “障害者”,“健常者”などといわず,ないものねだり,欠点探しではなく,だれもがその能力の大小に関係なく,持っているもの,良い点を生かして,社会の維持発展のために参画できる,そんな社会にしたいものである。付記事項

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