1/2012
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 ちょうど仙台港の交差点で渋滞のため停車した。大きな十字路の交差点で、「まだまだセンターまで時間がかかるな」と思った瞬間、右側の道路から土ぼこりを立てて小さな角材を伴い水が流れてきた。えっ?何?と考えた時、ものすごい勢いで大きな黒い波が流れてきた。「これは早い!」車をバックするにも渋滞で後ろが詰まっているため、思うように動きが取れない。じたばたしているうちに波が車を持ち上げた!「これが津波か!」それからは波に任せるしかない、どんどん流されていく。交差点からどんどん遠ざかっていく、見ると交差点を海側から反対方向へ大型の観光バスが高速道路を走行している速さ並みのスピードで流されていった。 この場面映画で見たな、でも映画は特撮で作ったもの、これは現実の光景、映画より凄いなと感じた。自動車に乗ったまま水に浮かび流されるというのは、気持ちのいいものではない。遊園地のアトラクションに似たものはあるが、それは経路が決まっているもの、今はどこに行くか全く分からない。その時、車が大きく傾いた、何が起きた、岩だ!車が歩道わきに造園のために置かれている岩に乗り上げたんだ。これが幸運であった、助手席側が岩に乗り上げた拍子に水面から外に出た。すぐにドアを開け外へ。 外に出た瞬間に大波が押し寄せ私を含めて3人が流された。波の高さは身長を超えただ流されるまま、しばらくすると渦の中に巻き込まれ、周りからは波に浮いた車がどんどん押し寄せてくる、これらの車を手で押しのけて何とかトラックの荷台に登り波からは逃れることができた。 さっきまでいた道路を見ると渋滞していたはずの車が見当たらない。代わりに歩道の植え込みや岩に乗用車、トラック、コンテナ等が重なっていた。 自分たちの乗っていた車は姿さえ見えないほど上にトラックなどが積み上がっていた。これが現実か?流されていた瞬間は「死」さえ意識したほど、尋常な出来事ではなかった。その日は3月なのに雪がちらつく寒さの厳しい日で、トラックの荷台から近くの会社の事務所2階に避難させていただいて一晩凍える思いで過ごした。 何とか助かることができたが、これからが大変であった。多賀城の施設を見て呆然とした。2mを超える波がセンターを襲い、駐車場の全ての車は流され、代わって海側の工場からコンテナ、原木、材木、高圧ボンベ、トランス、他が敷地内に積み上がり、まっすぐ歩くこともできない。さらに中へ入ると1階の全てのものがヘドロまみれで惨憺たる有様である。1階部分で助かったものは全く無い。工作機械類を始め実績を上げてきた機器全てがだめになっている。 震災後、訓練は全くできない状況でやれることは、「瓦礫処理」「使用可能な教材、機器、工具の救出」「危険物の撤去」である。 「瓦礫処理」といっても全て人力でやるしかなく、まず手始めに人が通る通路の確保から。津波で流されてきたヘドロが分厚く床に堆積しており、スコップで何度もかき取らないと床面が見えない。悪臭と2. 瓦礫処理 復旧作業−3−震災復興と職業訓練の取り組み①

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