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地松化粧梁と杉源平柾板天井空気の熱膨張利用による自然対流排気穴22 一例をあげれば,利休の茶室「待庵」。屋根は木の皮,入口は古雨戸のきり抜き,柱は足場丸太,床柱は節付,壁は藁スサだらけの荒壁,どれもこれもそこらに転がっているような雑材ばかりだ。しかし,つくられた空間は見事に美しく,厳粛な空間を醸し国宝とまで昇華する。思想・理念・概念が明確にはりつめている。それがハードで作られたものづくりの先に追い求め,大工が最後に生涯をかけて探究する領域である。 このように,大工道は難しく厳しい。職人という道は,単純な仕事ではないため,修得するまでに数年かかる。その間,親方は,その人材に対してある意味,投資することになる。一人前の大工となり,貢献してくれることを期待しているのだ。しかし,現実は,目先しか見ず,少しできるようになれば一人前と錯覚し,本質や真髄を学ぶことなく親方から離れてしまう。続ければ,本物の大工棟梁となり,親方の地盤を引き継ぐことができるのだが! しかし安易に大工に興味を持つ者が多いのが現状だ。世間一般では鋸や金槌を使い,木を切り釘を打つのが大工の主な仕事と考えられている。小学生の男の子のなりたい職業ランキングにもそのイメージで常に上位に入り,トントン,カンカンと「お母さんに家を建ててあげたい」とかわいい動機があげられる。 「大工になりたい」と私の門をたたく若者に聞いてみた。彼らのほとんどは,一流企業に勤め,ある程度の地位の父親を持つサラリーマン家庭に育っている。自分もそれなりの学校を出て,いざ就職に当たり考えてみたが,親父のような人生を送りたくない,という。早朝からラッシュにもまれ,どれだけがんばって働いて地位を築いても,定年退職すれば何も形に残らない,親父の後ろ姿を見ているのである。人生を生きた証が欲しい。自分の手で一軒一軒,家を建てて,己の人生の歴史を刻みたい,と!しかし,そこには能力主義という厳しい道が待ち受けていることを心してほしい。 最後に,「家」を建てるということは,人生をかけた買い物といわれる。また,家の支払いのローンのために必死で働き続けるのがほとんどであろう。家族の安らぎの場・安全・快適さを求める建主の思いを真摯に受け止め,具現化する建物は,働いた時間以上の耐用年数を持たなければならない。メーカのカタログからチョイスした新建材を並べ,使い捨ての短寿命の材料で建物を作るのではなく,大工が本来の形に戻って,長寿命の天然素材を軸に多用した家を作るべきではないか。 今は,世界中どこの都市に行っても同じ町並みである。コンクリートと鉄とガラスで出来上がった特徴のない都市が増加している。日本人も,唐の文化も,南蛮文化も,明治の西洋文明もいいものはすべて拒絶反応なく取り入れ,近代化のために融合させてきた。しかし,そのために多くの大事なものを捨ててきた。グローバル化した現在は,より一層,世界中から情報や工法,デザインが流れ込んでくる。しかし,あえてグローバル化した現在こそ多くの情報に惑わされずに,日本人が培ってきた技能・技術を原点に戻し,日本独自の考えで建物を生み出して,多様性を推し進めるべきである。私はそれを,古きをたずねて新しきを創る――「温故創新」と呼ぶ。技能と技術

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