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図3 ユニークな描写例(ガウジング作業)2)3/2010格者でなくても就労意欲のあるフリーターなど社会的弱者を引き受けてもよいのでは…という意見が広島地域の各ハローワーク(厚生労働省)とポリテクセンター広島(雇用・能力開発機構)の協議会の場で双方出され,結果的に入所試験で好成績であった野村氏を合格させたのである。 ちょうど同じころ,著者は民間企業から機構に転職し,新人研修を受け,初めての配属先としてポリテクセンター広島に赴任した。すでに3ヵ月後の10月入所生の担任業務を命ぜられていたので,担任業務を把握するため,副担任的な立場で,野村氏の在籍している7月入所生と入所式から接していた。 20~60歳代まで,さまざまな年齢の人達が在籍する7月入所生の中でも野村氏は一番若いうえに,素直で明るく,謙虚な性格からクラスメイトから可愛がられていた。先にも述べたように当時は,構造不況の真っ只中であり,ポリテクセンター広島の所在地である広島市では,マツダ株式会社宇品工場の操業休止や三菱重工業株式会社祇園工場の移転問題等,地域における機械・金属関連製造業の雇用情勢が悪化していた。訓練生は常に不安を抱えながら訓練生活を送っていたのである。こうした閉塞感がただよう雰囲気のなか,彼の人柄は,クラスのムードに陽となって作用し,常に笑顔が絶えないクラスとなっていった。その様子は,まるで大家族の雰囲気で訓練生活を送っているようである。ほかの科の訓練生や先生方から羨ましがられたことを記憶している。 溶接実習の授業で,こんなエピソードがある。まだ,被覆アーク溶接を習い始めたころである。 「先生,被覆アーク溶接棒の動きって,筆の動きに似ていますよ。まるでそっくりなんです。」 彼は,漫画家の道を断念するも,趣味で絵を描いていた。いつも描いている筆の動きがそっくりそのまま適用できるという。確かに彼が溶接したビード表面を眺めると,きめ細やかな(ピッチの細かな)波形(アークによって溶融した金属が冷えて固まった痕跡)が現れていた。特に,溶接の進行方向に対して左右に振るウィービング操作では,その傾向が顕著に出ていた。止端部(母材表面と溶接ビードの表面との交わる点)のそろいや母材との馴染みもよく,良好な溶接ビードを形成していた。溶接棒の繊細な動きに加え,それ以上に溶融池の形成現象をよく見ながら棒を操作している点に驚かされた。被覆アーク溶接は,スラグを伴った溶融池をコントロールしつつ,消耗電極である溶接棒を適切なアーク長さに保つように手で操作しなければならない。溶接の初心者には大変ハードルの高い溶接であり,技能の習得には大変時間がかかる。彼は,それを訓練初期の段階で理解し,実行していたのだ。 その後,日を追うごとに溶接技能が上達していく。溶接棒操作の繊細な動きは,ほかの溶接法にも反映していた。例えば炭酸ガスによる半自動MAG溶接では,時折,TIG溶接を彷彿とさせる波形のビードが得られていた。ただ,綺麗なビード外観を意識するあまり,溶接入熱を抑えた施工になる。溶接入熱が不足すれば,融合不良が起こりやすく,溶接部の機械的強度に問題が生じる。当時のポリテクセンター広島では,溶接の技量評価を必ず曲げ試験33

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