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権を認めてもらった上に,市民権を獲得することが不可欠であった。土地と家屋の取得権,手工業の営業権と市民権との結びつきは最後まできわめて強固に維持されていた。…… ハノーファーにおいては一体どの程度の居住者が市民権を取得していたのであろうか……17世紀末から18世紀にかけてはほぼ固定的に1,000人程度の世帯主が市民権を保有していたのではないかと推測されている。この推測が正しいとすれば,1755年のハノーファーの人口1万2,922人の中で市民権保有者が占める割合は7.7パーセントということになる。また所帯主はこの時期3,000人程度あった見られるので,所帯主のおよそ三分の一が市民権保有者であったと言うこととになる」(10)。 つまり職人の内は,土地はもちろん家屋を手に入れることができなかった。したがって彼らは親方に傭われているか,遍歴中の職人であったということになる。 いずれにせよ,資本主義の成立・発展,工場制機械工業の成立・発展とともに同業組合つまり,ギルドは崩壊し,多くの手工業者は姿を変えていく。その経過はG.アンウィンの描いたイギリスの「階級形成の過程」の図式(11)にその一端を見ることがでる。 手工業時代の徒弟,職人の修行過程を,現代教育学の「学習過程」と呼んだにしてもそのニュアンスはかなり違う。それは「非学校教育」的な自立した積極的・能動的なものである。しかし科学的管理法によるあるいはそれをベースとした労働は,企業の経営管理のもとでの労務管理,その一貫としての教5/2009(1)遠藤元男:「職人と生活文化」,『日本職人史の研究』Ⅳ,雄山閣,p.47,昭和60年。(2)労働基準法作成過程では,第7章第69条は「徒弟制度」についての規定があり,家事労働等に酷使することを禁ずる文言がある。この禁止規定は,昭和22(1947)年制定時には第68条で「徒弟の禁止」として残され,第69条で「技能者の養成」が「徒弟制度」に代わって規定された。(3)ここで職人という表現を,職業人と同義に,また徒弟→職人→親方という階層の一段階として使う場合とがある。(4)ビエール・ブリゾン・臼井勝喜代訳:『中世職人史』,西田書店,p.33,1986年。(5)G.ルフラン・小野崎晶裕訳:『労働と労働者の歴史』,共立出版,pp.167~168,昭和56年。(6)小関智弘:『仕事が人をつくる』,岩波新書,pp.10~11,2001年。(7)尾高邦雄:「職業社会学」,岩波書店,p.23,pp.15~16,昭和16年。なお「新稿職業社会学第1分冊」では「職業とは個性の発揮,役割の実現及び生計の維持を目指す継続的な人間活動である」としている。(福村書店,p.23,19953年)(8)遠藤元男:「日本職人史序説」,『日本職人史の研究』Ⅰ,雄山閣,pp.141~142,昭和60年。(9)藤田幸一郎:『手工業の名誉と遍歴職人-近代ドイツの職人世界-』未来社,p.38,pp.58~59,1994年。(10)谷口健治:『ハノーファー-近世都市の文化誌-』晃洋書房,pp.8~11,1955年。(11)G.アンウィン・樋口徹訳:『ギルドの解体過程』,岩波書店,p.15,1980年。(12)本稿は元木健・田中萬年編:『非教育の論理-「働くための学習」を考える-』(明石書店・2009年11月)に寄稿した「管理された労働」および「若者をどこへ」の序編として執筆したものである。したがって「別稿」とは同書の論を意味している。育訓練管理によるまさに管理された労働であるといえよう。この問題についての詳細は別稿をご参照いただきたい(12)。31<注>

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