3/2009
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る路線バスに起こされて始まる。スリランカの自動車はほとんど日本製だが,この路線バスと現地ではスリーウィーラと呼ぶタクシーに相当する三輪トラックだけがインド製である。路線バスは排気音がうるさいだけでなく,どういうわけか2台が並ぶと競争する。 8時半,スタッフの車に便乗させてもらってアパートを出る。ゴールロードはコロンボのメインストリートで朝晩はかなり混雑する。ビザの申請で毎日長い行列をつくるインド大使館を左に見て北上する。やがてゴールフェイスグリーンという広大な緑地公園沿いに走る。ここからインド洋に沈む夕日を見るのが若いカップルには人気らしい。 この通りで頻繁に小銃を構えた警官に検問される。この辺りはLTTEの攻撃対象となる政府や軍関係の施設が多くとりわけ警戒が厳しい。写真はもちろん厳禁である。日本人であることを示し,笑顔で応対することが検問を抜けるコツだそうである。重厚な旧国会議事堂を右折するとビジネス街フォート地区,コロンボ中央駅に通じる。 スリランカはコロンボといえど信号がほとんどない。朝夕最も混雑するこの地域は片側2,3車線であるがそれでも信号がない。信号のない3車線の交差点は怖い。小競り合いもなく,あうんの呼吸でそれぞれ譲り合いながら自然と流れが交差する様は芸術的ですらある。イギリス統治のなごりか騎馬警官が整理する交差点もある。 コロンボ中央駅近辺のペター地区の朝はすさまじい。通勤バス,山のように荷を積んだトラック,手押し車,その合間をすり抜ける三輪タクシー,通勤する人,買物客,車,人,車。歩道は衣類や日用品,食料の露店が占拠し,店開きの準備をしている。道端に目を下ろすと犬が何匹も寝そべっている。車の流れから1メートルも離れていないところで幸せそうに惰眠をむさぼっている。少しでも空いた隙間に入り込むドライバーの腕に見惚れていると車の流れが急にスムースになる。まもなくJSCoTの校舎が見えてくる。 スリランカは紀元前5世紀にシンハラ人が北インドから移住して王国をつくったのが起源とされ,紀34元前3世紀の仏教伝来以後,上座部仏教(小乗仏教,ちなみに日本の仏教は大乗仏教)の中心地として,現在までその信仰を守ってきた。同2世紀にヒンドゥ教徒のタミール人の侵攻が始まっているのでスリランカの闘争(仏教徒のシンハラ人とヒンドゥ教のタミール人の争い)は実に2000年以上続いていることになる。 大戦後イギリス領からセイロンとして独立,バンダラナーヤカ政権によるシンハラ人中心の政策を契機として近代の民族的対立が再燃した。1972年にスリランカと改称後もタミール人の反政府組織LTTEは独立を宣言し,内戦が続いた。 2002年,スリランカ政府とLTTEの停戦が合意し,休戦状態に入り経済も安定成長するかにみられたが,強硬派のラジャパクサ現大統領の就任以降,戦闘が激化し爆弾テロも頻発した。特に北部および北東部では死者が100人以上にも達する激しい戦闘が現在も頻発している。1985年以後,この内戦による犠牲者は双方で7万人を超えているといわれる。 2007年夏はコロンボのバンダラナーヤカ空港が爆技能と技術5.2 民族紛争のこと図10 コロンボの幹線道路ゴールロード図11 コロンボ朝の通勤ラッシュ

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